九州では太閤秀吉のご威光もまだ弱かった?
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by 旅好者さん(男性)
耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:145件
城井神社は、中津城の本丸跡の中では中津川寄りにありました。宇都宮鎮房(しげふさ)公を祀っていて、1591年(天正13年)の創建です。豊前の豪族で、宇都宮鎮房は下野(栃木県)の宇都宮家の分家筋で、居城のあった地名から城井(きい)鎮房とも呼ばれ、そこからこの神社の名になっています。秀吉は九州平定後、豊前は周辺と合わせて12万石とし黒田官兵衛に与え、宇都宮鎮房には従前の豊前3万石から、今治12万石へ加増・移封としました。不満があっても顔には出さず、有難き幸せと従うところですが、平定直後の九州では太閤秀吉のご威光もまだ弱かったのか、宇都宮鎮房はいやだと逆らったのですね。加増は要らないから元のままで良いといったのです。いろいろな経緯があった後、中津城内で殺されてしまいます。黒田家としては、目覚めが悪いことだったので、城内に神社を建て、お祀りしたのでしょう。宇都宮神社としなかったのは、事件は豊前の中の一郷のことで小さなことでした、としたかったのではないかと思いました。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2021/02/06
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