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鬼子母神大門のケヤキ並木

自然・景勝地

鬼子母神大門のケヤキ並木 施設情報・クチコミに戻る

木々に囲まれた都会の中の癒しエリアです!

  • 4.0
  • 旅行時期:2020/11(約5年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

目白 クチコミ:17件

『鬼子母神大門のケヤキ並木』は、東京メトロ・副都心線「雑司ヶ谷駅」1番出入口または都電・荒川線「鬼子母神前駅」より「鬼子母神堂」に向かう「鬼子母神大門」から石畳が敷き詰められている参道の内、およそ100メートルの区間に渡って石畳みの参道の両脇に存在する日本の代表的な広葉樹の一つである『ケヤキ並木』です。
この『鬼子母神大門のケヤキ並木』の歴史は、江戸時代後期の徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1810年(文化7年)から1830年(天保元年)に地誌編纂事業の一環としてまとめられた「武蔵国」(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)についての近世後半期の地誌となる「新編武蔵風土記稿」を作成するための資料として当時の村役人が提出した「地誌取調書上」によると、安土桃山時代である天正年間(1573年から1593年)に当時の雑司谷村・住人「長島内匠」が土地とともに数十本のケヤキを「鬼子母神」に奉納のため寄植したものと伝えられており、江戸時代後期の1837年(天保8年)に「歌川広重」画による浮世絵「江戸高名会亭尽」でも当時の参道を行き交う江戸庶民とともに参道に面した料理茶屋および『ケヤキ並木』が描かれています。
1940年(昭和15年)になると樹齢400年以上と推定される18本の『ケヤキ並木』が当時の東京府の所有となり「天然記念物」に指定されています。
その後に参道の下水本管敷設工事および道路整備工事などに伴い伐採される樹木もあり東京都所有の『ケヤキ並木』も減ってきていますが、1940年(昭和15年)に地元有志の方々により発足した「鬼子母神 大門欅並木 保存会」の活動などにより豊島区の所有となる新たな若木の補植も実施されています。
現在では、豊島区所有の15本の若木と東京都が所有する樹齢400年以上と推定される「天然記念物」に指定の4本からなる新旧あわせて計19本が混在する『ケヤキ並木』として形成されています。
ちなみに「鬼子母神」は、室町時代後期(戦国時代)の1561年(永禄4年)に現在の文京区目白台付近の畑(清土の地)から出土した「鬼子母神像」を祀るための草堂を安土桃山時代の1578年(天正6年)に村人が建立したのが始まりとされ、現在の「鬼子母神堂」の本殿部分が江戸時代初期の徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1625年(寛永2年)に建立、本殿とつながる拝殿と相の間(幣殿)部分が徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」の時代である1700年(元禄13年)に増築されたものと伝えられており、1960年(昭和35年)になると「東京都有形文化財」に指定されたほか、2016年(平成28年)に本殿部分と拝殿・相の間(幣殿)部分が異なる特徴を持つ江戸時代の建造物であることから歴史的・意匠的に価値が高いという点で評価され国の「重要文化財」に指定されています。
今回は、「鬼子母神堂」に立ち寄る際に東京メトロ・副都心線「雑司ヶ谷駅」から参道である『鬼子母神大門のケヤキ並木』を通りましたが、JR山手線の内側となる「池袋駅」からも徒歩15分程度(およそ1.1キロメートル)の都会に位置しながら、都会のイメージとは程遠い木々に囲まれた環境下の静かな住宅街であり癒しのエリアとしてお勧めできます。
機会があれば、雑司ヶ谷周辺を訪れた際にまた『鬼子母神大門のケヤキ並木』を通り「鬼子母神堂」境内に立ち寄りたいと思います・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
東京メトロ・副都心線:雑司ヶ谷駅または都電・荒川線:鬼子母神前駅より鬼子母神堂に向かう参道の一画になります。
景観:
4.0
木々に囲まれた都会の癒しのエリアです。
人混みの少なさ:
4.0
平日の午後に通りましたが、数名の方とすれ違い程度でした。
バリアフリー:
4.0
石畳みの舗装で段差はありません。

クチコミ投稿日:2021/01/24

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