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瑞巌寺

寺・神社・教会

瑞巌寺 施設情報・クチコミに戻る

津波も押し寄せた名刹

  • 4.0
  • 旅行時期:2020/09(約5年前)
norisaさん

by norisaさん(非公開)

松島・奥松島 クチコミ:3件

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院ですが、9世紀初頭、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であると伝わっています。

後には、平泉を拠点として東北一帯を支配した奥州藤原氏も延福寺を保護しました。

13世紀中頃、幕府執権・北条時頼公が法身性西禅師を開山として臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と改めています。

関ヶ原の戦い後、仙台に治府を定めた伊達政宗公は、仙台城の築城と併せて、領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営を行いましたが、この瑞巌寺ももちろん庇護します。

慶長13年(1608)に鋳造された大鐘には、「山を号して松島と曰い、寺を名づけて瑞岩(巌)と曰う」という一文を見ることができます。これが「瑞巌寺」という呼称の初出で、以後、正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」としました。

伊達家の菩提寺として厚い庇護を受けた瑞巌寺は60余の末寺を有し、領内随一の規模、格式を誇りました。

この参道の並木が切られているのは津波で塩水に浸かった木々の痛みを計算してのものだそうですーーー。

さて、歴史の続きですが、明治維新後は新政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動や、伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃を受けて、このお寺も荒廃しました。

そのような状況の中、明治9年(1876)、明治天皇東北巡幸に際し瑞巌寺が行在所となり、内帑金1,000円が下賜されて復興の契機となり、今の威容が復活していきました。(HP参照)


安土桃山美術を現在に伝える貴重な建築物であることから、昭和28年(1953)に本堂と御成玄関が、昭和34年(1959)に庫裡と本堂をつなぐ廊下が国宝に指定されています。

なお、本堂内は撮影禁止、宝物館も無料で入ることができますが、貴重な宝物が沢山ありますが、もちろん撮影禁止ですーー。

そして、敷地には多くの洞窟があり、この洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺えますが、 松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所だったそうです。

駐車場はありませんので付近の公営、私営の駐車場を利用しましょう。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2020/11/05

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