新宿歌舞伎町から徒歩圏内のパワースポット神社です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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by hiroさん(男性)
新宿 クチコミ:23件
『花園神社』は、創建時期が不詳ですが「徳川家康」が江戸に入府した1590年(天正18年)以前に「大和吉野山」より総本社が「伏見稲荷大社」である稲荷神の穀物の神とされる「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」が現在の新宿3丁目「新宿伊勢丹」付近に勧請(神様の分霊を迎え祀ること)され、新宿の総鎮守として信仰を集めていたと伝えられています。
徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代である寛永年間(1624年から1645年)になると神社境内であった場所の周囲を取り囲むように旗本「朝倉宣正」の下屋敷が徳川幕府より拝領されたため、神社境内を「尾張徳川家」下屋敷の庭の一部で多くの花が咲き乱れていた現在の場所(新宿5丁目)に遷座(神様の場所を移すこと)することになり、その場所が美しい花園の跡であったことから『花園稲荷神社』と呼ばれるようになったことが社名の由来とされていますが、当時は「三光院稲荷」または「四谷追分稲荷」とも呼ばれており、1916年(大正5年)になると正式に社名が『花園稲荷神社』となっています。
その後1928年(昭和3年)には現在の新宿4丁目にあった「雷電稲荷神社」(御祭神:穀物・農業を司る女神である「受持神(うけもちのかみ)」)が合祀され、1965年(昭和40年)には現在の鉄筋コンクリート造による本殿の建て替えに合わせて神社境内に末社として鎮座していた「尾張徳川家」によって祀られたと伝わる「大鳥神社」(御祭神:戦勝の神である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」)を合祀し、社名も現在の『花園神社』に改められています。
今回は、10月後半の平日に『花園神社』を参拝しましたが、11月の「酉の市」準備のために神社境内に仮設足場を組み立てて提灯の取り付け作業が行われていました。
「酉の市」は、江戸時代から続く年中行事として関東地方を中心に「日本武尊」の命日とされる11月の酉の日に執り行われている例祭であり、『花園神社』では明治時代から「酉の市」が始まり、現在では「鷲神社(東京都台東区)」、「大國魂神社(東京都府中市)」とともに「関東三大酉の市」のひとつとに数えられ毎年大勢の参拝者で賑わいます。
今までにも『花園神社』を数回にわたり参拝していますが、「酉の市」の際に参拝したことがないので、機会があれば「酉の市」にあわせて参拝してみたいと思います。
そのほか徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代である1780年(安永9年)、および第11代将軍「徳川家斉」の時代である1811年(文化8年)に発生した大火により焼失した社殿再建のため神社境内に見世物小屋を設けて芝居や踊りなどの興行をするなどの芸能との関りが始まったとされています。
1928年(昭和3年)になると神社境内に摂社となる「芸能浅間神社」(御祭神:芸能の女神として「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」)を創祀、1965年(昭和40年)に現在の明治通り側となる境内北東部分に位置する一画に遷御しています。
この「芸能浅間神社」には、芸事・ヒット祈願など多くの芸能関係者が参拝や奉納に訪れており、1970年(昭和45年)に「第1回 日本歌謡大賞」で大賞を受賞した「藤 圭子」さんのヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑が建立されています。
また「芸能浅間神社」と同じく神社境内に摂社として1928年(昭和3年)に創祀されたとされる奉納された朱色の鳥居が連なる「威徳稲荷神社」(戦災で資料焼失のため詳細不明)は、恋愛成就・夫婦和合・子授け・縁結びなどのご利益があるとされています。
『花園神社』は、新宿歌舞伎町からも徒歩圏内であり新宿の総鎮守として商売繁盛・開運出世・家内安全・才能開花・芸事成就・縁結び・子授け・夫婦和合などのご利益があるお勧めのパワースポット神社です。
また境内にはサクラの木もありお花見スポットとしてもお薦めできます。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・新宿三丁目駅E2出入口を出たところです。歌舞伎町からも徒歩圏内です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 参拝者が絶えることがあるませんが、企業の安全祈願などがある場合を除き込み合うことはありません。
- バリアフリー:
- 2.5
- 本殿を参拝するには、階段を昇ります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- サクラの花見スポットとしてお勧めできます。”圭子の夢は夜ひらく”歌碑があります。
クチコミ投稿日:2020/10/25
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