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守山空襲の弾痕残る地蔵

名所・史跡

守山空襲の弾痕残る地蔵 施設情報・クチコミに戻る

昭和20(1945)年7月30日午後4時頃…。

  • 5.0
  • 旅行時期:2020/10(約5年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

守山 クチコミ:37件

守山駅からバスでひと停留所の〝油池〟、その近くにある吉身町墓地の一角に一部が欠けた六地蔵が残っている。守山空襲の弾痕残る地蔵と呼ばれる地蔵尊は、守山空襲の傷跡を今に伝えるものとして残され現在に至っている。

昭和20(1945)年7月30日、大津の滋賀海軍航空隊を爆撃した空母ハンコックの艦載機であるF4F〝ワイルドキャット〟4機が守山付近へと来襲。守山駅発車直後の国鉄車両と駅周辺に対し機銃掃射を浴びせた。犠牲者・負傷者数は記録のばらつきがあるが、死者11名・負傷者22名が身元判明者として記されている。

その機銃掃射の標的のひとつとなったものが、吉身町墓地に残る〝守山空襲の弾痕残る地蔵〟である。駅や線路からそう離れていないことから、付近に加えられた機銃掃射の弾が当たったものである。粉砕された形跡がないことから銃弾が直接命中し、その衝撃による破壊の証拠にもなっている。

管理者の方がこの地蔵を残す〝理由〟を書かれていた。『地蔵さん、痛かったやろうな。怖かったやろな。新しい地蔵さんに変えたらよいのやけど、この傷跡を後世に残し、戦争のむごさを伝えたいのや。ごめんね。』と。

戦後75年を過ぎ〝戦跡〟と呼ばれるものが開発や老朽化という理由に於いて消滅して行っている事実がある。残せるものは残すその考えを目にして、改めて戦争の悲惨さを考えさせられた私であった。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
油池バス停すぐ。
人混みの少なさ:
5.0
普段は訪れる方もないようだ。
バリアフリー:
5.0
地蔵前はコンクリートで舗装されている。
見ごたえ:
5.0
機銃の破壊力がわかるものになっている。

クチコミ投稿日:2020/10/08

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