百万石の中心だった居城 ~ 郡山城址
- 3.0
- 旅行時期:2020/08(約4年前)
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by 機乗の空論さん(男性)
大和郡山・田原本 クチコミ:13件
京都・大阪方面から近鉄電車で来ると郡山駅の手前は城址内を走るので判り易い!、駅下車して線路沿いに戻れば「郡山城址公園」と大きな看板が建っているので、踏切を渡ってそのまま道なりに行けば追手門へ辿り着けます。ここまで約25分ぐらいでしょうか?。
車なら郡山市内・近鉄郡山の看板を目印に走れば、途中から郡山城址の看板が現れるので判り易いです。但し、駐車場は”三の丸P”とありますが有料です。無料を利用する方は”梅林門”又は城址会館”を目指して下さい。
「郡山城」は大和・紀伊・和泉を統治する中心の地で秀長の居城で百万石~、元は戦国大名・筒井順慶が修復をしたのが始まりと言われていますが、大幅に改築・拡大をしたのが秀長であり、その後徳川の時代に代ってからは譜代の大名が代々藩主を務め、幕末まで続きました。
天守閣は現存しませんが、追手門や追手向櫓・追手東隅櫓・多聞櫓・天守台などは市民の協力で復元・整備されてます。
また、昨今の調査で色々なことが判明し、五層六階建ての天守閣が在ったことが判明し礎石も修復・展示されてます。
そして、城郭を表す石垣や堀は僅かしか観ることは出来ませんが、郡山城としての外濠は市街を囲むほど大きなものであることが外濠緑地公園などで解ります。
秀長時代の百万石であり、徳川時代での譜代大名では十五万石であることから随分と栄えたことが解ります。
もし、将来天守閣が復元されれば五層六階の荘厳たる郡山城天守閣、観てみたいですね~、そう言えば鍵屋の辻の仇討ちで名を馳せ荒木又右衛門は郡山藩の剣術指南役として短い期間すがこの地で過しているんです。なばら登城の際に天守閣を必ず観ていたんでしょう~、これも浪漫です。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 近鉄郡山駅から徒歩で10分とと判り易い!
- 景観:
- 3.0
- 濠と櫓の景観が雰囲気を醸し出してます!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- マニアックな観光客しかいなかった?…
- バリアフリー:
- 2.5
- 工事中も有り路地が多く石段が多いのは仕方ない
クチコミ投稿日:2020/08/11
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