沖縄水産学校学徒隊の慰霊碑です。
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- 旅行時期:2020/04(約6年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
高校野球でも有名な沖縄県立沖縄水産高等学校、その前身である沖縄水産学校の生徒達も沖縄戦の学徒隊として駆り出されています。一年生は通信隊は球部隊司令部に、ニ・三年生は水産鉄血勤皇隊として第四遊撃隊に配属され、それぞれ首里と恩納岳・石川岳にて任務に就いていた。
通信隊は戦況の悪化に伴う司令部の南下に同行し摩文仁へと向かい、牛島司令官以下軍首脳の自決によって組織的抵抗が終わるまでの激戦を、勤皇隊はそれまでの後方業務からゲリラ戦の最前線での戦いを余儀なくされた結果学徒隊では引率教師を含む32名が、他に兵役等で招集された34名の計66名の戦死者を出すこととなった。
琉球政府時代の1962年12月に当時那覇市泊にあった学校敷地内に〝沖縄水産健児之塔〟が落成し、沖縄本土復帰後の昭和53(1978)年3月に同校が現在地に移設される際に〝翔洋碑〟として改称されたものが建立され現在に至っている。
多くの少年少女が学徒隊員として沖縄戦に従軍し、約半数が命を落としたと言われている。学徒隊個別に建立された慰霊碑も遺族・同級生の高齢化から慰霊祭の開催が困難になっており、史上稀に見る沖縄戦の一側面の風化が危惧されているのが事実である。
そんな中沖縄水産学校は沖縄水産高等学校として存続しており、同校同窓会が慰霊祭を行い現在に至っている。グラウンドの片隅に建立された翔洋碑。近くでは運動部生徒達の声が響き渡っていた。そんな当たり前の景色に溶け込んでいる翔洋碑。戦没した学徒隊員達の御霊が、一見平和に見える様子を見守っている様に感じた私であった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 糸満バスターミナルからバス10分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 学生はたくさんいましたが。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は地道ですが踏み固めてあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 学徒隊として散った少年達の気持ちが伝わってくる様な気がします。
クチコミ投稿日:2020/04/09
いいね!:7票
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