目黒区最古の神社
- 4.0
- 旅行時期:2020/03(約4年前)
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by noelさん(女性)
目黒 クチコミ:1件
山手通りと目黒通りの交差点の角のとてもわかりやすい場所にあります。日本武尊が天皇の命令で熊襲を討ち、その後東国の蝦夷を平定の折り、立ち寄られて祈願をされました。その際、部下の目の病の治癒を祈願したろころ治ったそうです。
また東京都の天然記念物に指定された「オオアカガシ」があります。指定された頃は樹高約16m、幹周は約1.6mありました。その後枯死が確認されて、今は残念です指定が解除されてしまっています。
他にも切支丹燈篭もありました。正式には「織部式燈篭」です。元は千代ケ崎の大村邸内にあり、かつてこの地にあった肥前島津藩主松平主殿守の下屋敷に祀られていて密かに信仰されていたようです。竿石下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエスの像を仏像形式に偽装した珍しい型の
切支丹燈篭です。切支丹への弾圧や迫害が厳しくなった寛永・正保・慶安の頃から江戸中期にかけて作られたもののようです。これは長崎などでも聖母マリアの代わりに天照大神や観音様を見立てて祈っていたのと似ています。信仰が本当に篤かったことがわかります。本当に歴史を語る貴重な燈篭です。
その他に「くし塚」もありました。くしは元より幸運のシンボルとされてます。古事記によると神祖の伊耶那岐命は妻の伊耶那美命の死を悲しんで、黄泉の国へ会いに行くと、身体が腐って蛆がたかっていたため、この世へ逃げました。暗闇の死の世界から逃げ出すために髪にさしていた竹の櫛を抜いて火をつけて、松明の代わりに道を照らしてこの世に戻りました。又大鳥神社の御祭神である日本武尊は妻の弟橘媛命と東国へ渡る際に、浦賀水道で風波が高くなり、海神の怒りを鎮めるために、妃は海に身を投げて、身代わりとなった妃の「くし」浜に流れ着いて今も祭られています。
これは観音崎近くの「走水神社」がそうです。
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「くし」はこのように人生の歩む道を照らしたり、身代わりとなる力を持っています。「くし塚」にお参りすると、開運、無病息災、家内安全が得られます。特に大鳥神社の御祭神は目の病、成人病、糖尿病、ボケにかからない為の神様です。私も他人ごとではないので、しっかりとお参りしました。
街の真ん中にありますが、見応えのある神社でした。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2020/03/22
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