明治22年ころハワイ島のヒロ市にあったハワイ移民集会所
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- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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by ぬいぬいさん(男性)
犬山 クチコミ:57件
明治村の4丁目には明治時代から始まった海外への移民に関連する建物が3つあります。
こちらの建物は、明治22年ころハワイ島のヒロ市にあったハワイ移民集会所
最初は日本人のための教会として建てられ、その後集会所として使われ、最後はヒロ市の英字新聞の倉庫になっていたそうです。
ハワイへの日本人の移民は明治元年に無許可のまま始まり、1885年、日布移民条約が結ばれます。
日本人をハワイのサトウキビ畑で働く労働者として3年契約で送るという取り決めが交わされます。
26回にわたる官約移民では2万9000人もの日本人がハワイに渡ったそうです。
希望をもってハワイに渡ったものの、炎天下での長時間の作業はとても過酷だったようです。
その後も民間の移民斡旋業者の移民は続き1908年の終了までに10万人、1924年に移民法で移民が禁止されるまで延べ13万人の日本人がハワイに移民したのだとか。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2020/03/07
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