藤原経清の無念、藤原清衡の臥薪嘗胆の忍耐を偲ぶ
- 3.5
- 旅行時期:2020/01(約4年前)
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by しそまきりんごさん(男性)
水沢・江刺 クチコミ:13件
江刺の市街地から岩谷堂伊達家の居城跡、岩谷堂城跡の坂道をひたすら登った頂上付近にあります。
山頂部は、標高115mあまり。
樹林に囲まれ、景色はそれほど望めませんが、館山八幡神社のお社と、奥州藤原氏の祖、藤原経清・清衡父子を偲んで平成11年に建てられたという二清堂があります。
二清堂は、元日とゴールデンウィークの5月3日ー5日、お盆の8月13日ー16日に公開しているので、その期間中に訪れるか、周辺はアジサイが植栽されているので、6-7月のアジサイの時期に訪れるとよいかもしれません。
冬期は、人首川を挟んだ向山公園や藤原の郷までの夢乃橋が閉鎖されているので、一旦、山を下りてから向かわないといけないなど、行動が制約されてあまりおススメの時期ではないようです。
周辺の見所の旧岩谷堂共立病院こと、明治記念館も冬期閉鎖(11月中旬ー翌3月中旬)されていました。
展望は、館山史跡公園より向山公園の展望台の方が良く、夢乃橋が開放されている時期に合わせて訪れたいところです。
冬期に訪れた時は、折からの冬型の気圧配置の日で、時折、ざっと雨が降る時雨模様の日。
雨を避けるように、樹林下に佇む二清院に詣でて、藤原経清の無念、藤原清衡の臥薪嘗胆の忍耐を偲びました。
藤原経清は、陸奥国の蝦夷の有力者、安倍氏の娘を娶り、前九年の役では朝廷側から地元側に付いて朝廷側(源頼義・義家)と戦い、最後は首をはねられた(ゆっくり首を切られた)人物です。
息子、清衡は父を殺した敵である出羽国の有力者、清原氏と再婚した母に従い、清原家に入りましたが、後三年の役で異父弟との勢力争いに、今度は逆に朝廷(源義家)の加勢を得て勝利し、その後の奥州藤原氏繁栄の基礎を築きました。
父の仇の家に入って肩身が狭い中、清衡は母から京の名門、藤原氏の血筋であることを言い聞かせられて育ったのでしょうか。
最後は、弟、家衡に妻と子を殺されながらも、父を殺した仇でもある、源頼義の子、義家と結んで、実母と清原の血筋の子である家衡に勝利し、悪夢のような清原家での出来事を捨て去るように、再び清原から藤原姓に戻しています。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2020/02/25
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