僅か70年足らずの天守閣。
- 5.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
福井市 クチコミ:8件
この地に移封して来た徳川家康の次男結城秀康が、柴田勝家の居城であった北ノ庄城跡に建立した福井城。初代福井北ノ庄藩主と越前松平家宗家初代でもある秀康は、松平姓を名乗ることを許されます。しかし秀康は若くして病死、2代忠直は配流、3代忠昌の時代に〝北ノ庄〟の〝北〟の字が〝敗北〟に繋がるとして〝福居〟に改められ、後に7代藩主吉品によって〝福井〟と改称されている。
4代藩主光通の時代に大火によって天守閣を焼失、その後は藩の財政悪化や幕府からの許可が出なかったなどという説の下再建されることもなく、その際に類焼した〝本丸南西隅〟の二重巽櫓を三重に再構築し天守の代用として用いそのまま明治維新を迎えている。
廃藩置県の折福井藩は福井城の解体を幕府に願い出て認められ、一時陸軍省の管轄地となるも旧藩士達がその地を借り受けて開墾を進め、その地を元17代藩主茂昭が買い戻している。そして最後の当主となった康荘が〝松平試農場〟を設立し、移転までの約半世紀の間続くこととなった。大正12(1923)年には福井県庁が城址に移転し、昭和56(1981)年に現庁舎に建て替えられ現在に至っている。
城下町に県庁所在地があることは多々あるが、福井県の場合は極めつけと思えるところがある。外堀こそ外堀は埋められているものの内堀・石垣・天守台などの遺構は残っており、それに加えて〝県都デザイン戦略〟のひとつとして、福井城と周辺の歴史史跡などを整備し史跡の保全や市民の憩いの場の公園としての整備が現在でも進められており、その過程に於いて〝御廊下橋〟と〝山里口御門〟が復元されている。
福井地震や空襲の影響を受けて損壊したものもあるが、歴史ある史跡内に行政施設を組み込んで公園化することは役所が身近なものになると思うところがある。公園の整備は即ち史跡保存にもつながる訳であり、明瞭な税金の使い道とするに問題はないようにも思う。歴史の波乱に揉まれ続けた福井城と福井藩、そして越前松平家。今なおわかっていない部分も多いとは聞くが、それはそれで今後の楽しみだと思える。何かのきっかけがあり再訪する機会にまた変貌を遂げている福井城址を見るのが楽しみだと思った。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 福井市の中心部。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方だったので人は少なかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 場所による。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 復元物が多いが歴史を感じる。
クチコミ投稿日:2019/11/18
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