徳川家康の次男で越前北ノ庄藩初代藩主、そして越前松平家宗家の初代でもある。
- 5.0
- 旅行時期:2019/11(約4年前)
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
福井市 クチコミ:8件
徳川家康の次男として幼い頃から人質や養子に出された過去を持ち、北関東の大名であった結城氏に婿養子に入り結城秀康と名乗るようになる。これには実父家康が豊臣秀吉から旧北条領を含む関東一円240万石に国替えと加増されたことによるが、その後関東平定の功労者として更なる加増にと考えた結果のことであると言われている。
結城家当主であり、徳川宗家の血を引く秀康は、関ケ原の戦いの前哨戦とも言われる会津征伐にも参戦しており、上杉景勝に呼応するべく石田三成が挙兵した際には宇都宮に留まって上杉・佐竹の動きを牽制する任務を受けている。
関ケ原の戦いに於いて勝利した家康は秀康を越前北ノ庄68万石に加増移封させ、結城旧来の家臣の力を削ぐ意味合いも込められていた。
その後松平姓を名乗ることを許されたらしいが、福井での生活は長くは続かず、伏見城の留守居役を命じられるも、病気のため職務を全うすることが出来ずに越前へと帰国。間もなく34歳にてこの世を去った。
結城秀康公が福井にやって来たのは事実ではあるが、それ以前にも朝倉氏・柴田氏といった大名が治めた場所でもあることを考えると、なぜ秀康が〝偉人〟の如く取り扱われるのかはわからない。徳川譜代の領地となったことでのネームバリューでもあったのか…。そんな理由が知りたいと感じた結城秀康公石像であった。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 福井城(福井県庁内)にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方だったので散歩している方ぐらいでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 像の周りは芝生敷き。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ひとつの石から作られていることにその理由が知りたいと思った。
クチコミ投稿日:2019/11/13
いいね!:14票