牛島満大将と長勇中将を祀る慰霊碑。
- 5.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
昭和20(1945)年6月23日黎明の刻、第32軍司令官牛島満大将と参謀長長勇中将が、摩文仁の丘頂上付近にある司令部壕で自決し、沖縄に於ける日本軍の組織的抵抗が終わりました。
その遺体は米軍の確認は入ったものの、牛島司令官の遺体は確認が取れていないまま終わります。自決を知った下士官の手によって遺体を埋めた場所に木製の〝墓碑〟が建てられたとされている物もあれど、事実かどうかはわからないのが現実です。
戦後を迎え内地から多くの元兵士が沖縄の米軍基地建設に雇われて来沖し、司令部員他部下だった将兵たちの手によって現在の地に〝黎明之塔〟が建立されたのは昭和27(1952)年のことでした。
その後10年の時を経て沖縄の地に都道府県・軍関係の戦没者慰霊碑が建立ラッシュを迎えた際に改修工事を経て昭和37(1962))年10月に南方同胞援護会の助成により現在の慰霊塔になって今日に至っている。
摩文仁の丘の頂上部付近に建立されていることと、一般的な沖縄戦戦没者慰霊碑と言われる〝平和の礎〟の建立時期の差を問題視する者も多いようだが、それぞれの建立意図を調べれば、平和の礎の建立に時間がかかったのは当たり前であることがわかる。
慰霊塔に祀られる人物を批判するものではないことを由緒書きに記している貴重な慰霊碑のひとつであった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 園内バスを使えば結構便利です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夕方では訪れている方も見かけなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石畳ですがかなりの勾配はあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 慰霊碑建立の謂れを読むのもお忘れなく。
クチコミ投稿日:2019/11/07
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