戊辰戦争で16、17歳の若者が自刃したの隊士の墓
- 4.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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by 団塊二世代1さん(男性)
会津若松 クチコミ:25件
飯盛山頂上にありました。戊辰戦争で齢16~17の少年たちによって編成された白虎隊は、戸ノ口原合戦から退却し辿り着いた飯盛山で、鶴ヶ城の天守を覆い隠す激しい炎と濛々たる黒煙を目にした時、隊士の間では城に戻り戦うか、敵陣に斬り込み一人でも多く道連れにするか、激論が交わさた結果、彼らが選んだのは自刃。捕らえられて生き恥をさらすより潔く死を選ぶ、という結論だった。ある者は腹を割き、ある者は喉に刃を突き立てる、凄惨たる光景―。新政府は彼らの遺骸に手をつける事を許さなかったが、3ヶ月後、近くの村人・吉田伊惣治らによって付近の妙国寺に密かに仮埋葬された。改葬が許されたのは明治2年。その時作られた墓は拡張され、大正15年に今の形となったそうです。当時の悲しき物語を見る事が出来て良かったです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/05/28
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