隆盛痕跡がある朱色の鳥居
- 3.5
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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by 団塊二世代1さん(男性)
会津若松 クチコミ:25件
厳島神社の創建は室町時代初期の永徳年間に、石塚、石部、堂家家の3家が宗像三女神である市杵島姫命の分霊を勧請し社殿を建立したのが始まりと伝えられ、当初は宗像神社と称し飯盛山も辯天山と呼ばれました。神仏習合していた事で祭神である市杵島姫命は弁才天と習合し、別当には正宗寺があたり歴代の領主からも信仰され地の有力者の崇敬社となり社運も隆盛し、特に会津藩(藩庁:鶴ヶ城)三代藩主松平正容が篤く帰依し、江戸時代中期に社領や御神像の寄進、社殿の造営などを行っています。 寛政8年には別当である正宗寺の三匝堂(さざえ堂)が建立されるなど隆盛を極めましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により正宗寺が廃寺となり境内にあった仁王門や大仏等は廃止され社号を「厳島神社」に改名しているそうです。飯盛山の帰り口にも鳥居があり戸ノ口堰水まで続いており第二鳥居は朱色で綺麗でした。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 1.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/05/15
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