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山内豊信 (容堂)墓

名所・史跡

山内豊信 (容堂)墓 施設情報・クチコミに戻る

特徴的な形状の墓

  • 3.0
  • 旅行時期:2018/05(約8年前)
jmleedoさん

by jmleedoさん(男性)

大森・大井町 クチコミ:8件

現在の品川区内には大名家の控え屋敷として使用された下屋敷が多く存在しましたが、立会川河口付近(現品川区東大井)には土佐藩品川下屋敷が建てられ、「土佐山」と呼ばれて紅葉の名所として知られ、山内容堂(1827~72)も一時期隠居地として過ごしました。
墓域は高台(「土佐山」)の端に当たることから東側が急斜面になっており、第一京浜が走る低地に続いています。
1867年容堂は坂本龍馬を発案者とする「船中八策」を後藤象二郎から進言され、妙案として徳川慶喜に建白したことで有名ですが、その龍馬は19歳の時に土佐藩がペリー来航を受けて築いた「浜川砲台」の警備に加わり、品川下屋敷に待機していたとされます。
容堂の墓は円墳、その奥に立つ最後の土佐藩主山内豊範の妻栄子の墓は六角形の台座に円墳が載った形、墓域最奥部端に立つ「山内家合祀之墓」は六角形と、どれも特徴的な形状をしています。
山内家の祖は、藤原秀郷の流れを汲む家系に属し平治の乱(1160年)で戦死した山内首藤俊道で、その菩提を弔うために子の経俊が鎌倉に「明月庵」を創建し現在の明月院の前身としたと言われています。

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
2.5
人混みの少なさ:
3.5
バリアフリー:
2.5
見ごたえ:
1.5

クチコミ投稿日:2018/05/27

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