伊達政宗苦戦の戦場跡
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約9年前)
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by あおしさん(男性)
二本松 クチコミ:2件
人取橋の合戦は、二本松城を攻める19歳の伊達政宗に対して、福島の豪族、会津の芦名氏、常陸(茨城県)の戦国大名佐竹氏が3万の連合軍で攻めてきました。
伊達政宗の軍勢は4分の1の約8000。
父を失い19歳の政宗にとっては最初の試練だった戦いです。
鬼岩左月など有力な家臣を次々に失い、伊達軍は壊滅寸前に追い込まれますが、なんとか引き分けに持ち込みました。
晩年政宗は、徳川3代将軍徳川家光(家康の孫)に「もっとも苦しい合戦だった」と語ったそうです。
現在は国道沿いの水田となっていて、双方が激戦を繰り広げた人取橋は水田の中の小さな橋になっていました。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 国道沿いにあります
クチコミ投稿日:2017/11/17
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