鬼庭左月斎、政宗の危機を救う
- 5.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
二本松 クチコミ:7件
父を殺された伊達政宗は、畠山義継の目玉をえぐり晒し首にしたが、佐竹・蘆名・岩城・石川・白川・相馬・二階堂ら近隣の諸大名を怒らせ、3万の軍勢が迫ってきた。政宗は7000の兵を率いて迎え撃ち、人取橋付近では伊達・佐竹の両将が互いに目前に迫る乱戦となった。政宗は自ら槍を取って戦い、鎧に銃弾5発を受ける危険な状況に陥ったが、このとき老将鬼庭左月斎が、わざと目立つように黄色い頭巾をかぶり、60騎を率いて人取橋へ乱入し、討死した。そのすきに政宗は、本宮城へ逃れた。19歳の政宗が、数倍の兵力を相手に健闘したことは、かえって彼の勇名を轟かせることになった。
本宮駅または五百川駅から2キロ、国道4号線わきに碑がある。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 本宮駅または五百川駅から2キロ
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/07
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