「小泉八雲夫婦像」がとても印象的でほのぼのとした雰囲気のある広場です!
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- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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by hiroさん(男性)
隠岐諸島 クチコミ:38件
古き良き日本の伝統的精神や文化を愛した明治時代の文豪として知られる「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」が、1892年(明治25年)に妻の「小泉セツ(節子)」夫人と関西、山陰、隠岐を旅行した際に訪れた隠岐諸島の中で最も気に入った場所の中ノ島(海士町)菱浦湾の畔にあった「岡崎旅館」に8日間滞在しています。
現在、滞在先であった「岡崎旅館」跡地は「佐渡公園」となっており、『八雲広場』として「小泉八雲」の「来島百年 愛蘭土大使友好記念碑」、「小泉八雲夫婦像」などが建立されています。
菱浦湾の鏡のように穏やかな入り江を見た「小泉八雲」は、菱浦湾を「鏡ヶ浦」と名づけたといわれ、当時の様子を「知られざる日本の面影」の中に著しています。
「小泉八雲」は、1850年(嘉永3年)当時イギリス領であったギリシアのレフカダ島でアイルランド人の父とギリシア人の母との間に生まれ、1890年(明治23年)にアメリカ合衆国の出版社・通信員として40歳で来日後、島根県尋常中学校(松江市)に英語教師として赴任しています。
1891年(明治24年)には、「小泉セツ」夫人と結婚し熊本の第五高等中学校に転勤、1894年(明治27年)神戸クロニクル社に勤務しています。
1896年(明治29年)には、日本に帰化し「小泉セツ」夫人の養祖父が「古事記」にある和歌の「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」から「八雲」と命名してくれたそうです。
その後、1896年(明治29年)から帝国大学文科大学講師として英文学を講じます。
1904年(明治37年)には、早稲田大学講師として招聘されるものの、同年の1904年(明治37年)心臓発作で54歳の生涯を閉じています。
著作家としては、翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に生涯で約30の著作を遺しています。
『八雲広場』は、「小泉八雲」と「小泉セツ」夫人がベンチに座って菱浦湾を眺める姿の「小泉八雲夫婦像」がとても印象的でほのぼのとした雰囲気のある広場です!
『八雲広場』へのアクセスは、中ノ島(海士町)菱浦港フェリーターミナル「承久海道キンニャモニャセンター」から徒歩5分程度(約450メートル)で、バス停「菱浦郵便局前」にあります。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.5
- 菱浦港から徒歩5分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2017/09/03
いいね!:6票
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