安政地震の供養のために町民がお金を出し合い建てました
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- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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by すぶたさん(女性)
ミナミ(難波・天王寺) クチコミ:345件
安政の大地震は江戸時代後期の安政年間、安政元年(1854年)11月4日と、
5日の両日に相次いで発生した「安政東海地震」と「安政南海地震」のことを指します。
関東では、ちょうどペリー来航の頃で、東西を問わず大変な時期だったそうです。
地震の時に津波が発生し、安治川、木津川の河口から侵入した津波は、
道頓堀や長堀、土佐堀などに入り込み、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、
黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は、
全て崩れ落ちてしまい大勢の命が奪われたそうです。
その頃の淀川は暴れ川で治水が整っていませんでした。
明治時代になって治水工事が行われ、現在の姿になったのです。
こちらにある安政地震津波碑は、地震の後に町民がお金を出し合い、
四天王寺に建てました。武士の町である江戸と違い、
町民の町である大阪にふさわしい話だと思いました。
阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と、
ここ20年くらいは大規模災害が増えています。
東南海地震もいつ起こるかわからないので、
過去の出来事と思わず備えましょう。
この碑は四天王寺でも北西の中之門の近くの地蔵堂の向かいにあります。
今一度、訪問してみましょう。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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- 気に留める人は少ない
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2017/03/18
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