400年前の秀吉の攻撃で落城した山城跡
- 4.0
- 旅行時期:2016/11(約9年前)
-
-
by かつのすけさん(男性)
三島 クチコミ:24件
山中城は戦国末期に後北条氏が築城、天正17年豊臣秀吉の小田原攻めに備えて急遽堀や岱崎出丸等を整備し増築を行っていたさなかの天正18年3月29日増築が未完成のまま豊臣軍の攻撃を受け、僅か半日で落城したそうです。この山中城跡は400年前の遺構がそのまま復元されている山城で、全国的にも珍しいそうです。特に畝を堀の底から堀残した障子堀などは他の城ではあまり見られない珍しいものでした。城跡近く(三の丸跡)の宗閑寺には落城した際の豊臣方の武将一柳直末と北条方の山中城主松田康長らの敵同士のお墓が並んで建っています。
- 施設の満足度
-
4.0
- アクセス:
- 2.0
クチコミ投稿日:2016/12/05
いいね!:2票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する