寛永寺は、天海僧正の開山により、寛永年間に創設されたため寛永寺の名称となりました。
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- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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by さいたまさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:136件
寛永寺は、天海僧正の開山により、寛永年間に創設されたため寛永寺の名称となりました。
寛永寺は、天台宗関東総本山の寺院で、山号は東叡山、院号が円頓院、寺号が寛永寺です。
京の都の鬼門を守る比叡山に対して、東の比叡山という意味で山号を東叡山とされました。
徳川家の本来の菩提寺は、中世から続く増上寺ですが、徳川家により新たに建立された寛永寺は、徳川家の祈祷寺で、菩提寺ではありませんでした。
3代将軍家光の遺言により、葬儀は寛永寺により行われ、寛永寺は増上寺とともに徳川家の菩提寺となりました。
その後、皇族が歴代住職を務め、日光山や比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇りましたが、上野戦争で主要伽藍を焼失してしまいました。
明治維新により、寛永寺の敷地は、没収され、公園や博物館の敷地になり、寛永寺は東に移されました。
現在の本堂は、川越の喜多院本地堂を移築したものです。
天海僧正と将軍の結びつきで開山した寛永寺も、往年の栄華は亡くなったようです。
栄枯盛衰の象徴のような変遷です。歴史の悲哀を感じさせます。
上野公園や周辺の寺院巡りの際には、是非とも歴史の勉強をされることをお勧めします。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2016/11/25
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