上野戦争の際、上野の寛永寺全体は焼失しましたが、旧本坊表門のみ戦火を免れました。
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- 旅行時期:2016/10(約9年前)
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by さいたまさん(男性)
上野・御徒町 クチコミ:136件
上野戦争の際、上野の寛永寺全体は焼失しましたが、旧本坊表門のみ戦火を免れました。
上野に国立博物館の前身の帝国博物館が開館すると、旧寛永寺本坊表門は、正門として使われていましたが、関東大震災後、帝国博物館の本館を改築するのにともない、南側の現在地に移建しました。
江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺の堂塔伽藍が、整然と配置されていました。
現在の噴水池周辺に根本中堂、その東側に本坊があり、南側に本坊の表門がありました。門の構造は、切妻造り本瓦葺の薬医門です。
旧本坊表門の門扉には、上野戦争時の弾痕が残されていて、当時の戦闘の激しさがうかがわれます。
寛永寺旧本坊表門は、徳川幕府300年の長い歴史をともにした寛永寺の旧本坊の表門だけあり、重厚な感じがして、歴史を感じさせるものがあります。
表門の奥には、輪王殿があり、広大な前庭と相まって整然とした趣があります。
上野公園の東南にあって、真に格式の高い表門を思わせる風格があります。
ぜひとも、一見に値する神聖な場所としてお勧めします。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2016/11/24
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