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伊原第三外科壕跡

名所・史跡

伊原第三外科壕跡 施設情報・クチコミに戻る

ひめゆり学徒が最も多く戦死した場所です。

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/06(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:207件

ひめゆりの塔の前にぽっかりと口を開けたガマがあります。沖縄陸軍病院伊原第三外科壕跡、長期に渡り石灰岩が浸食されたことによりできたドリーネであり、間口も広く全長も長い大きなものです。

昭和20(1945)年6月初旬、南風原の陸軍病院を撤退したひめゆり学徒をはじめとする病院スタッフと患者は、付近一帯の壕やガマに別れて入ることになりました。ひめゆり学徒が入ったとされる壕では一番大きなものであり、どこの壕に入るかをじゃんけんで決めたという逸話も残っています。

6月19日早朝、伊原第三外科壕に黄燐弾が撃ち込まれ、壕内では勿論やっと脱出した場所で銃撃を受け、多くの犠牲者を出しました。僅かばかりの生存者は他の壕へと脱出するも安住の地に非ず、陸から攻め寄る米兵に押される形で荒崎海岸へと到着するも、海に見えるは米艦艇が所狭しと待ち構えている景色を見た学徒と教員は、絶望感からある者は自決、ある者は銃撃を受け蕾のまま人生を終えました。

伊原第三外科壕というよりひめゆりの塔と言った方が知られている現実から十把一からげにされている現状をうかがい知ることができます。確かにひめゆり学徒から最も多い犠牲者を出した場所であることは間違いないのですが、その際にともに斃れた戦没者については同一敷地内に慰霊碑がは残っているにも関わらず話題とならないことに疑問を感じました。

謂れがあるから同一敷地内に設けられているのであり、そのことに触れないことは、結局史実を話していないように思えてなりません。多くの人々が訪れる場所ではありますが、本当の事実を知っている方がどれ位おられるのかといつも思う伊原第三外科壕跡です。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
付近お土産屋の駐車場を利用してすぐ。
人混みの少なさ:
3.0
昼間は混雑しています。
バリアフリー:
4.0
舗装はされていませんが石畳になっています。
見ごたえ:
5.0
見かけの保存状態はすこぶる良いようです。

クチコミ投稿日:2016/08/23

いいね!:6

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