白梅学徒がここにもいました。
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
白梅之塔上の壕。白梅之塔下の壕(自決之壕)から距離にして200m程離れた場所に位置します。山形の塔の脇を通り真山之塔向かって左側に小さな石碑が建立されており?白梅之塔上の壕?と刻まれています。
昭和20(1945)6月4日、第32軍司令部の解散命令を受け八重瀬岳中腹にあった第24師団第一野戦病院にて従軍されていた?白梅学徒看護隊?にも解散命令が出され、数人のグループに分かれて南部へと向かいます。その道中に8名が戦死し、残った方々は国吉台の白梅之塔上の壕を自決之壕に分かれて入ることとなり、その後再び看護補助要員として従軍されました。
同年6月17日真栄里にて米軍司令官サイモン・バクナー中将が戦死、そのこともあってか付近の壕やガマに対して米軍は執拗な?馬乗り攻撃?を仕掛けるようになります。その牙は武器を持たない白梅学徒達にも向けられ、6月21日には下の壕で6名が、そして上の壕でも2名が戦死し、1名は大火傷を負って米軍の野戦病院に運ばれたもののその後亡くなられました。
元々上の壕は患者を収容していた訳ではなく、野戦病院の資材庫と学徒達の休憩場所として利用されていました。しかし戦況の悪化とともにこちらにも重症患者が入ることになり、結果として多くの犠牲者を出すことになりました。
上の壕は流土や落盤もあり、内部には入れず?上の壕?の碑が建立されている場所からお参りするようになっています。白梅之塔よりも知名度は低く、参拝者とお会いすることもない場所ではあるものの、確かに白梅学徒隊がこの場所にいたことは紛れもない史実です。そのことを改めて感じたものの学徒犠牲者に手を合わせることしかできない自分に何かもどかしさを感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2016/07/30
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