沖縄戦に於いて最初に米軍を迎え撃った部隊の慰霊碑です。
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
宜野湾・北谷・中城 クチコミ:27件
第62師団歩兵63旅団独立歩兵第11大隊という名称の部隊です。昭和13年に満州で編成された後、敦賀連隊区が徴兵・召集を管轄しました。その後敦賀連隊区は京都師管区に吸収されることとなりますが、編成上福井・滋賀・京都出身の兵士がたくさんおられました。
昭和20(1945)年4月1日に始まったアメリカ軍の沖縄島上陸から数日後、独立歩兵第12大隊とともに米軍を迎え撃ち、遅滞作戦を遂行しました。一定の成果は挙げたものの戦力は半減し、その状態で沖縄戦初期の激戦のひとつとされる?課嘉数の戦い?に挑みました。
その後の戦いに於いて犠牲者の数は増えて行き、5月の小波津の戦いの頃には大隊長が変わっています。そして沖縄戦末期の昭和20(1945)年6月20日、摩文仁の丘近郊で玉砕されその歴史を閉じました。
1,300人という構成人員を持ちながら、あまり転戦の情報などが定かではない要素が多々ある第11大隊ですが、慰霊碑はこの西原町の他にふたつあります。京都霊山護国神社と滋賀県護国神社、これが大隊を構成し戦没された方の縁の地であることは説明するまでもありません。他人には足跡がわからなくても、生存者並びに遺族の手によって縁の場所に慰霊碑が建立された…。そのことだけでも知ることがある事実を改めて感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 西原の塔敷地内。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰にも会いませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 舗装はしてあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 観音像に込めた気持ちが伝わってきます。
クチコミ投稿日:2016/07/15
いいね!:6票
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