西原での戦闘で壊滅的被害を被った部隊将兵の慰霊碑です。
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
宜野湾・北谷・中城 クチコミ:27件
西原の塔敷地内にひっそりと佇むひとつの慰霊碑があります。第24師団歩兵第89連隊第1大隊、大隊長の名前を取って丸地大隊と慰霊碑には刻まれています。
昭和20(1945)年5月4日未明運玉森に大隊本部を置いた第一大隊は、予定より早く攻撃に取り掛かりますがそのことが結果的に命取りとなってしまいます。後方砲兵部隊から砲撃を前線部隊の前方に落として煙幕を張り、それに塗れて攻撃に出る手筈だったようですが、全身開始が予定時間より早かったこと、或いは射程距離の見誤りなどといった理由から味方である第一大隊の場所に着弾させるという?最悪の展開?からの攻撃開始となりました。
日が昇るまでの戦闘は成功として捉えられているものの、あたりが明るくなってからは米軍の猛烈な攻撃の前に釘付けとなってしまいます。連隊本部への伝令を出すものの、その後航空機爆撃を含めた攻撃のもとではなす術がなく、結果としてほぼ壊滅状態となりました。
第一大隊長丸地軍治大尉も負傷自決を遂げ生き残った者は10名程だったそうです。
最近になってその第24師団歩兵89連隊丸地大隊戦没者慰霊碑が熾烈な戦いを繰り広げて多くの犠牲者を出したこの西原の地に建立されました。建立者が書かれていなかったようなのでいつ誰の手によってということはわからないものの、戦禍に斃れた大隊が70余年前に確かにここに存在したことを静かに参拝者に語り掛けているように思います。軍関係の慰霊碑には必ずと言っていい程戦果について書かれているものが多く、逆にそれが参拝者を遠ざけているようにも思います。
碑文を敢えて書かない方がストレートに建立者の意図が、参拝者にわかるのかも。そういう意味では新たな発見をした慰霊塔のひとつだったと思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 西原の塔敷地内にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- どなたにも会いませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足元は舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 碑に刻まれた文字から思いが伝わってきました。
クチコミ投稿日:2016/07/15
いいね!:5票
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