鎮守の矢先稲荷神社は残りました
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by ぷーちゃんさん(男性)
浅草 クチコミ:659件
かっぱ橋本通りとかっぱ橋道具街に近い住宅街にある神社の境内です。1642年弓師備後が幕府からこの付近一帯の土地を拝領し三十三間堂を創建しました。矢場を持つ京都三十三間堂にならい堂の西縁を矢場としました。三十三間堂の鎮守として矢先稲荷神社が創建されました。1696年江戸の大火で焼失し、のちに三十三間堂は深川に移転しました。矢先稲荷神社はこの地域の鎮守として再建されて残りました。三十三間堂跡の説明板が境内に立っていることと、深川の三十三間堂と区別するために浅草と表記されていることが分かりました。深川三十三間堂は1892年に廃棄解体され、今は富岡八幡宮近くの歩道に三十三間堂跡モニュメントがあります。移転先の跡を辿るのも興味深いです。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2016/06/29
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