一番最後に建立された都道府県別慰霊碑です。
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
新潟県のご出身で先の大戦に於ける沖縄戦戦没者1,117名と南方諸地域戦没者40,843名の41,960名を祀る都道府県別慰霊碑のひとつです。建立は昭和50(1975)年12月28日と都道府県別慰霊碑の中では最も遅く建てられました。
新潟県は地方都市ながら長岡空襲など県内でも戦争被害が多かったこともあり、本土復帰前の沖縄に新潟県戦没者慰霊碑を建立しても維持管理が困難だとされ、消極的だったという話が残っています。そのため新潟県護国神社内に昭和43(1968)年3月?平和の礎?を建立し、新潟県所縁の戦没者を祀ることになり、沖縄での慰霊碑建立はないものとされていたようです。しかし昭和47(1972)年5月15日に沖縄県として日本に復帰後は観光客も増え、沖縄での慰霊塔建立に向けて意見が出されます。その中で決まった現新潟の塔の建立、昭和50(1975)年12月に参道と慰霊塔が完成し、翌昭和51(1976)年1月に除幕式が執り行われます。そして昭和51(1976)年12月にはすべての付帯構造物及び造園工事等が終了し竣工式が執り行われて現在に至ります。
最も新しい新潟の塔でしたが、昨年平成27(2015)年建立40年を迎えなにかと施設内の劣化が問題となってきました。県民の戦死地域を記した銅板は読めなくなり、由来文を刻んだ碑もないことから、新潟の塔改築の募金依頼が県内で始まりました。無事改修を終えた新潟の塔には、銅板からチタン板に変わった戦死地域の地図や由来文を刻んだ石碑が建立され、祀られている御霊を慰め参拝客を迎えています。
私にとっては所縁がある場所ではないものの、ブーム的に都道府県別慰霊塔ができたとばかり思っていたことが少し恥ずかしく思えました。真新しい碑を携えた新潟の塔を訪れ、碑との考え方は複雑だったことを改めて感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園駐車場から徒歩20分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰もおられませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 石板が敷かれていました。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 新しい碑板が特に目を引きます。
クチコミ投稿日:2016/06/10
いいね!:8票
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