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沖縄県営平和祈念公園

公園・植物園

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沖縄戦に於いて戦没された所属を問わない遺骨を祀っています。

  • 5.0
  • 旅行時期:2016/04(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:207件

摩文仁の丘慰霊塔群の中核的存在、それが国によって建立された国立沖縄戦没者墓苑ではないでしょうか。昭和54(1979)年2月25日に当時の厚生省によって建立され、現在では18万人余りのご遺骨を祀っています。沖縄戦に於ける中心的慰霊塔であるため、規模も大きく敷地面積8,528平方メートルは米須霊域に建立された東京之塔の敷地面積8,000平方メートルを凌いでいます。

建立から37年が経ち施設の老朽化が進んだことによって、墓苑の参拝所と献花台を担う東屋が老朽化し、改築準備中とのことで現在立ち入りが出来なくなっています。平成28年度中には建て替え工事が終わるとのことですが、現在は納骨堂前にて参拝や献花は行えるようになっています。

確かに戦争という?国家?の問題に於いて亡くなられた将兵・軍属・住民を祀るということは、国家事業なのかも知れません。しかし史上稀に見る激戦が行われた沖縄の地では、景色が変わり戦前の写真からは全く想像もできないほど景観が変わってしまいました。そこで立ち上がったのは、戦争を生き残った住民の方々でした。戦争によって住む場所を焼かれた上に戦後の米軍統治下の貧しい時代、払い下げのセメントなどを用いてあたり一面に散在していた遺骨を収集し、埋葬したのも他ならぬ沖縄県民の方々の手によるものでした。物資がない中で建立された慰霊碑は、決して豪華なものではありませんでした。しかし心の籠ったものとして数万単位での戦没者のご遺骨が祀られている他に類を見ないものだったに違いありません。確かに遺骨収集活動が進むに従って集められた遺骨の数は増加の一途を辿り、既存の慰霊碑では賄い切れない現実に直面します。そこで昭和32(1957)年、日本国政府が当時の琉球政府に委託し那覇市識名に戦没者中央納骨所を建設して、個々の慰霊碑に分かれていた遺骨をまとめて納骨することになったものの、次第に収骨数が多くなるに連れ中央納骨所も手狭になってきました。その後昭和47(1972)年5月15日に日本国復帰を果たした沖縄県に対し、昭和54(1979)年に国立沖縄戦没者墓苑が創建され、戦没者中央納骨所に収められていた遺骨を転骨されたことにその歴史は始まったとのことでした。

この経緯について?国難に準じた戦没者の遺骨を永遠におまつりするのにふさわしい墓苑を新たに造るべきである?との要望が沖縄県をはじめ関係遺族等から寄せられたとの理由が記載されてはいるものの、それを盾にして納骨されている慰霊塔から半ば強制的に転骨が行われたとの話も事実として残されています。お骨を納めていた多くの場所が壕やガマといった?聖なる場所?であった事実は加味するも、戦争を彷彿させる場所を閉鎖する意見もあったことには間違いはありません。納骨されていた場所に建立された慰霊碑が廃棄されたことは、その役目を終えたことによる?理由?に他なりません。

慰霊碑が建て替えられて新たに納骨堂を持つ慰霊碑の記述に?分骨を納めています?との記述があるのは、やはり国が一方的に国策としたことに対する?最大限の抵抗?のように読み取れるのは、私だけではないことのように思えます。

分骨の考えには賛否両論あり、現在でも様々な理由で行われているものではあれどひとつとして万人を納得させるものではないように思います。戦場に斃れ野晒しになった期間を経て集められた遺骨の魂には、一度得た?安らぎの場所?を追われることを良しとするものはないように思えてなりません。

確かに戦没者遺族の一個人が言ったとて変わるものではないことでしょう。しかしこの国立沖縄戦没者墓苑に収められている18万余柱の遺骨の数からは、沖縄戦に於ける戦没者の数とは若干の開きがあることに気付きます。この場所に収められていれている遺骨数は沖縄戦戦没者の約90%と言われており、逆に言えば遺族の手元に戻ったご遺骨は10%程にしかならないという事実です。

数十年前祖母の納骨の時に初めて祖父のことを知りました。骨壺なのかそのままなのかは聞いてはなかったものの、?沖縄の石ころひとつ?だったことに衝撃を受けた記憶があります。唯一の直血だった母親もなくなり、血筋の問題でこの話を聞くこともできなくなりました。その現実を考えれば唯一顔を知らない祖父に会えるのはこの国立沖縄戦没者墓苑だけということになります。

琉球石灰岩であるトラバーチン1,000個を積み上げられて琉球王家の墓を模した古来の技法で作られた大変立派なこの国立沖縄戦没者墓苑納骨堂。そしてそのカタカナの?コの字?型に作られていることは、祖国の平和の礎となられた同胞を温かく抱擁していることを意味していますと立派なことが記されていました。そして納骨堂に抱きかかえられるように安置されている石棺は、福島県産の黒御影石でどっしりとした万成御影石の台座にのっており、その石棺の中には沖縄の各戦場の象徴遺骨が白木の箱に分骨して納められているそうです。

この定義は何によるものなのかはわかりません。しかしたまたま同じ時に国立沖縄戦没者墓苑に晴明祭(シーミー:沖縄の先祖供養の行事)で訪れておられたご夫婦にお会いしました。ご主人のお父さんが沖縄戦で亡くなられたそうですが、若い(?)内地からの訪問者はどうやら珍しい様子でした。一世代違うと年齢もだいぶ変わるということのようでした。

思うところは多々あり複雑な由来があるこの国立沖縄戦没者墓苑したが、現在ではやはり沖縄戦戦没者の御霊が納められている聖なる場所になっているのに違いありません。過去の問題点を含めても?慰霊の気持ち?だけはどんなことがあっても忘れてはいけない場所には違いありません。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
沖縄県営平和記念公園駐車場から徒歩15分位、園内周遊バス利用が便利。
人混みの少なさ:
5.0
一組のご夫婦がいらっしゃいました。
バリアフリー:
5.0
段差はありません。
見ごたえ:
5.0
参拝所の東屋が工事中ですが、厳か感は伝わってきます。

クチコミ投稿日:2016/05/30

いいね!:9

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