石部隊(第六二師団)野戦病院本部壕が置かれていました。~ナゲーラ壕跡~
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:60件
地元ではシチャーラの壕と呼ばれているナゲーラ壕は、沖縄戦が始まる直前に第六二師団野戦病院本部壕として、師団工兵隊によって構築されたものと言われています。
昭和20(1945)年3月8日、沖縄県立首里高等女学校(瑞泉学徒看護隊)と私立昭和高等女学校(梯梧学徒看護隊)が配属となりました。沖縄での地上戦が始まった4月以降、前線から運ばれてくる重症患者は増加の一途を辿り、手狭になったナゲーラ壕から第二外科識名分院へと9名が移動しますが、戦況の悪化とともに学徒隊からの犠牲者も出てくることになります。
その後第三二軍司令部の南部撤退命令によりこの第六二師団野戦病院は放棄されることになりますが、その際に重症患者は処置されたとの証言もあります。その後南部へと向かった学徒隊は伊原・米須・武富の壕に入ったもののすぐに解散命令が出され、多くの犠牲者を出したことは言うまでもありません。
第六二師団野戦病院として構築されたナゲーラ壕ですが、スタッフの移動とともに役割を失うことになります。住民避難壕として利用されていたこともあるようですが定かではありません。
このナゲーラ壕が脚光を浴びた一番の理由は、壕の真上に沖縄自動車道那覇インターチェンジを建設するため、土地を整地する際に多くの遺骨が発掘されたことになります。急遽遺骨収集と慰霊碑の建立がされたとも書かれていますが、それは確認できませんでした。
那覇インターチェンジ付近と書かれているものの、詳細の場所について書かれているものもほとんどなく、まして地元の方もご存知ないということでは本当に場所の特定ができません。最後は意地になって安里川沿いに道なき道を歩いてやっと発見できました。
最近では平和学習等で利用されているようなことも聞かなくなりました。ナゲーラ壕そのものが那覇インターチェンジ真下にあり、なおかつ安里川にぴったりと沿っているため、近づこうにも道がありませんでした。ブログにUPされている写真をみても毎回姿が変わって見えるように思えてなりません。私有地なのかそうでないのかその区分すらわからないので、見学には配慮が必要です。
高速道路と病院壕。あまりにも違う時代背景に違和感すら感じてしまいました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 那覇インターチェンジ真下ですが、場所はわかりにくいです
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元はあまり良くありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 那覇インターチェンジの施設との対比には圧巻されます。
クチコミ投稿日:2016/04/28
いいね!:8票
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