糸洲の集落のはずれの分かり辛い場所にあります。~糸洲第二外科壕跡~
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約8年前)
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:203件
沖縄戦末期に南風原陸軍病院から撤退してきた第二外科の軍医をはじめとする医療スタッフと患者、そして学徒看護隊として動員されていたひめゆり学徒が入壕した場所になります。
一説によると学徒たちはどの壕にいくかを?じゃんけん?で決めたとされることもあり、最も犠牲者を出した第三外科が?一番人気?だったことは、なにかやるせないものがあります。
第二外科壕も昭和20(1945)年6月18日に米軍の馬乗り攻撃を受け犠牲者を出していますが、生存者はその夜に伊原第一・第三外科壕へと移動し、そこで解散命令を受けることになります。
旧道の国道331号線糸洲交差点には第二外科壕の?道標?があるものの気付く方が多いとは思えません。ナビを利用するならば付近の?糸洲農事集会所?を検索すればすぐにわかるかと思います。
残念ながら壕はブロックで内部が閉鎖されており、様子を伺うことはできません。またすぐ隣には舗装された道があり、その整地の際に壕内からの出土品までも埋められてしまったようで、その場所を確認することしかできません。
壕入口付近に建立されている?第二外科壕?と?ぬちどぅ宝?の石碑のみが往時を伝える唯一のものとなっており、第一外科壕跡同様訪れる方も多くはありません。しかし70年前にはここに野戦病院があった事実を是非とも知って貰いたい・・・そんな気持ちにさせる場所には違いありません。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 糸洲農事集会所から徒歩2分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 他に訪れる方はおられませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は良くはありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- ここにも野戦病院があった事実を知って貰いたい。
クチコミ投稿日:2016/04/28
いいね!:11票