才媛「絵島」の終焉の地
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by 実結樹さん(女性)
辰野・箕輪・高遠 クチコミ:2件
高遠城址公園南ゲートを出て高遠湖へ続く長い階段を降りて行った先にひっそりと建っています。
行けばすぐ分かるかと思いましたが、意外と案内板なども少なくてチョッと迷いました。
大奥の大年寄絵島(1681~1741)は大奥がらみの幕府の権力闘争に巻き込まれ、罪一等は免ぜられたもののここ高遠に流罪となりました。
61歳で生涯を閉じるまでの28年近くを江戸から遠く離れた信州の地で過ごす事になります。
現在の屋敷は見取り図を元に復元されたものです。
八畳一間と湯殿(湯船はありませんでした)厠などが見てとれます。
朝夕の食事は一汁一菜のみで外部との交流も許されず、読書さえ御法度だったといえば一体どうして28年間を過ごしたのでしょうか?(晩年には制約も少し外されたそうですが…)
コヒガンザクラは明治になってから植えられ始めたので、この見事な桜も見てはいなかったのでしょうね。
建物には「ハメコロシ格子戸」が回らされています。
敷地の周囲を囲む「忍返打違(しのびがえしぶっちがい)」が幽閉屋敷の過酷さや悲哀を物語っているようでした。
高遠城址公園の入園券で見学ができます。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 社員・団体旅行
- アクセス:
- 3.0
- 高遠城址公園南ゲートから長い階段を下ります。帰りは登りです!
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 桜祭りの人の多さに比べ、ここに来る人は意外に少ないかも
- 見ごたえ:
- 3.0
- 復元された小さな屋敷です
クチコミ投稿日:2016/04/16
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