沖縄戦に於いて気象情報を軍に提供すべく奔走した沖縄気象台職員の犠牲者30余名を祀る碑になります。~琉風之碑~
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- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
沖縄戦に於ける気象観測は、戦績を左右する重大任務でした。その任務に就いたのが沖縄気象台職員30余名でした。刻々と変化する気象情報を軍の作戦部にいち早く連絡し、台長以下協力をしてきましたが、戦況の悪化とともに軍命により南部に撤退します。移動中ひとりふたりと職員を失いつつも琉風之碑が建つ糸満市伊原の高台まで南下してきたものの、昭和20(1945)年6月17日に解散命令が出され、団体行動を打ち切ります。その後砲弾に倒れるものや切り込みに突撃する者等か続出し、終戦時には僅か1人が生き残られたそうです。
昭和29(1954)年12月15日、大阪気象台長隣席の元で琉風之碑が完成します。犠牲となった沖縄気象台長他関連の職員が祀られています。慰霊祭は他の慰霊碑とは若干異なり、毎年7月1日の気象記念日に祀る塔を管理している琉風会によって行われています。
国道331号線伊原付近から細い道を北上するわかり辛い場所にあり、知名度のことを含めて訪れる方はほとんどありません。しかし今なお必要とされる気象情報が戦争中にどれだけの価値観を持っていたのかは、劣勢に続く劣勢を繰り返していた日本軍がどの様に考えていたかは、容易に分かることだと思いました。
時折塔の前の道を通り過ぎることができず、車一台がやっと通れる道でUターンすらできずひたすらバックで戻らなければいけない場合もあります。しかしそのような場所であるがゆえに、最後の場所とされる塔の位置を知ることができ、かつ気象台職員がどれだけ重要な任務を帯びていたのかは、沿革を読むとよくわかります。直接戦争に関わった部署ではないため、また違った苦労を知ることができる、そんな場所の様に思いました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 国道331号線から車ですぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 誰にも会いませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 塔に登るには階段があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 琉風という名前からすぐに祀られておられる方がわかります。
クチコミ投稿日:2016/03/14
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