清水の次郎長の偉大さが実感できます!
- 4.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
-
-
by norisaさん(非公開)
清水 クチコミ:10件
お寺の中には次郎長記念館があります。
見学料は300円!
ただしお寺本体は普通の檀家さんが一杯いるお寺なので入れません。
有名な次郎長ですが、実はあまり知りませんでした。
彼の人生を変えた言葉は人から言われた次の言葉だったようです。
20歳の時、旅の僧に「残り5年の命、25歳が寿命だ。」と言われてしまいます。
この時に、「どうせ死ぬなら短く太く生きてやろう」と、任侠の道を志します。
その後多くのヤクザとの抗争などがありましたが、彼の強みは森の石松、大政・小政、法印の大五郎、吉良の仁吉などの錚々たる部下が多数いたことです。
つまり彼は人材育成の天才だったかもしれないのです。
特筆すべきは明治維新前後の活躍です。
幕府崩壊にともない、江戸からやってきた大量難民の徳川家の旧幕臣とその家族が清水港に上陸します。
現代のように集合住宅や宿泊施設が整備されていない時代でしたから、駿府の街は大量の難民に混乱します。
次郎長は炊き出しなどで彼らを救護し、すぐに方々に手を回して彼らの住まいを確保し、混乱を治めました。
さらに彼は清水の発展を目指します。
その清水港の発展には茶の販路の拡大が必要だと考え、輸出茶の商人・静岡の茶商・清水港の廻船問屋を結びつけて清水港と横浜港の定期航路を誕生させます。
こういった次郎長の動きがあって、清水港は外に開かれた港となり、静岡のお茶はアメリカへも輸出されて、日本一のお茶の輸出港となります。
茶の海外輸出のこともあり、肌で英語の必要性を感じた次郎長は、これからの若者は英語を知らなきゃダメだ!と、近所の若者を集めて、講師に静岡学問所の若手講師を招いて英語塾をはじめます。
さらには最新の西洋医学にも関心を寄せ、済衆医院を開設します。
さらには静岡県知事のすすめもあり、助成金を二千円もらい向島の囚人たちを集め、富士裾野(大渕)の開墾をはじめます。
この開墾地は今も使用されています。
こうした活躍で、彼は任侠ではありますが、銅像の残るただ一人のヤクザとして尊敬されています。
このお寺には彼はもちろん、大政小政、森の石松や3人のお蝶夫人などのお墓があります。
駐車場も30台分程度はありますので是非ご見学ください。
彼の人格、功績が改めて学べますし、明治維新という時代の激変の中で最適解を求め続けた聡明な任侠の生きざまに感激しますーー。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/02/09
いいね!:22票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する