源平の争乱の中で最後まで平氏側に忠義をつくした伊東祐親
- 3.0
- 旅行時期:2015/12(約9年前)
-
by kirstiNorgeさん(非公開)
伊東温泉 クチコミ:12件
伊東祐親の名を聞いても、誰のことか思い当たる人はなかなかいないだろう。日本三大仇討ちの一つ、曽我物語の曽我十郎五郎の祖父である。曽我十郎五郎の父、河津三郎は伊東祐親の嫡男である。伊東祐親は平安末期から鎌倉時代初期において、平家側について敗れて自害した。
墓は薬研彫りで刻まれ、鎌倉時代初期の特徴を残している。墓は、曽我物語の曽我十郎五郎と曽我十郎五郎の父、河津三郎の墓のある真西を向いて立っている。墓の横には、伊東祐親の辞世の句碑がある。
墓の奥には、現皇太子「浩宮徳仁親王御見学記念碑」が存在する。何故ご見学したのであろうか、もしも源平の争乱を、武士である源氏が天皇から政権を奪い取った戦いであったと解釈すれば、最後まで平家側、天皇側に忠義を尽くした伊東祐親は、勤王の志士であったとも解釈できる。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2016/01/08
いいね!:0票