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ひめゆりの塔

名所・史跡

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沖縄島南部戦跡巡りの定番スポット、でも間違いが多い場所~ひめゆりの塔~

  • 5.0
  • 旅行時期:2015/10(約10年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

糸満・ひめゆり クチコミ:207件

那覇から平和祈念公園へと向かう国道331号線の途中、糸満市街からくる旧道と交わってすぐにお土産物屋が立ち並ぶ場所、それが〝ひめゆりの塔〟の場所です。公共の駐車場がなく、付近のお土産物屋が管理する駐車場に停めて歩いて行きます。

沖縄本島での戦いが始まる寸前の昭和20(1945)年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒教員240名で組織され、南風原の陸軍野戦病院看護要員として配属されました。その後戦況の悪化により2ヶ月後には南風原に回復の見込みのない負傷兵や学徒を置き去りにし、この地である糸満の3つの壕に分散して潜んでいました。敗戦色が濃くなった6月18日には学徒隊に解散命令が出されます。とはいえ付近一帯はほぼ米軍の手中にあり、解散=死を意味するものでした。銃撃や黄燐弾による攻撃の他、自決を含めた240名のひめゆり学徒(引率教師を含む)の犠牲者136名。その犠牲者を最も多く出した場所が伊原第三外科壕、つまりこの〝ひめゆりの塔〟が建立されている場所となります。

沖縄戦跡のひとつとして、後世に残さなければならないものには違いありません。しかしひめゆり学徒が潜んだ壕は、この伊原第三外科壕の他、伊原第一外科壕、糸洲第二外科壕もさほど遠くない場所に存在します。言い方は悪いですが、かたや朽ちる一方のところもあれば、理由はともかく多くの人が訪れる場所として観光地化されているところもあります。勿論そのような事実が全てではありません。しかしこの〝ひめゆりの塔〟という呼称は、多くで使われている〝慰霊碑〟ではなく、その壕手前にある小さな石碑である事実が知られていないことは、なにか本末転倒な解釈になっているように思います。観光地化するだけなら〝パッと見〟を良くするだけで改善されるところはあるものの、ひとつしかない命を捧げた〝乙姫〟と〝白百合〟の御霊は、今なお彷徨い続けているように思えてなりません。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
那覇空港から車で30分程。
人混みの少なさ:
3.0
人は多いです・・・。
バリアフリー:
4.0
石畳は敷かれています。
見ごたえ:
5.0
圧倒はされます。

クチコミ投稿日:2016/01/03

いいね!:9

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