公平で門戸の広い名刹です!
- 4.5
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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by norisaさん(非公開)
長野市 クチコミ:1件
善光寺は長野市内にありますのでアクセスは電車、車とも抜群です。
駐車場も完備されていますので土日以外は駐車も容易でしょう。
ここ、善光寺は創建以来約千四百年にわたり阿弥陀如来をご本尊として深い信仰を得てきました。
『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから百済へ、そから日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれていますが、それは西暦522年とのことです。
この仏像は廃仏派の物部氏によって難波へと打ち捨てられたそうです。
後に信濃国司の従者の本田善光が信濃の国へとお連れし、やがて皇極天皇元年(642年)現在の地に落ち着いたとのことです。
644年には勅願により伽藍が造営され本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
創建以来何と!!!十数回の火災に遭いましたが、その度ごとに、民衆の如来様をお慕いする心によって復興され、護持されてまいりました。
しかし、災難はまだまだ続きます。
戦国時代に入ると武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を巡り川中島の合戦を繰り広げました。
危険を避けるため1555年、武田信玄は御本尊はじめ善光寺を組織ごと甲府に移しました。
これが数年前に訪れた甲斐善光寺というわけです。
その武田家が織敗れると、御本尊様は豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊として持って行ってしまいました。
秀吉の死の直前、如来様が秀吉の枕元に立たれ、信濃の地に戻りたい旨をお告げになり、それによって慶長三年(1598年)、四十数年ぶりに善光寺にお帰りになったそうです。
(秀吉の強引さに如来様も愛想を尽かしたのか??)
江戸幕府では徳川家康より寺領千石の寄進を受け、次第に復興を遂げてきました。
やがて一生に一度は善光寺詣り!と、多くの人々が参詣されました。
このお寺の素晴らしいところは念仏を唱えて一心に祈る者をわけへだてなく皆極楽浄土に導くということで、男女平等の救済を説く寺院として知られていました。
ですから現在から多くの方々がお参りに来ます。
おススメの名刹です。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/09/21
いいね!:21票
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