当初はここも東軍の最前線だったはずです
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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by たびたびさん(男性)
関ヶ原・垂井 クチコミ:39件
松平忠吉 井伊直政陣跡は、徳川家康最後の陣地の少し後方。ただ、当初はここも東軍の最前線だったはずです。関ヶ原の戦いは、松平忠吉 井伊直政隊の兵力6千が宇喜多隊に鉄砲を打ちかけたことで始まるのですが、それは福島隊の脇を抜けて前に出たということ。しかし、正面にはむしろ島津隊の陣や小西隊の陣があるので、それを避けて迂回したような感じもします。
また、島津隊への追撃では、松平忠吉と井伊直政はともに傷を受け、その傷がもとでほどなく亡くなっています。松平忠吉は、家康の四男であり、かつ、直政の娘婿という関係。井伊家はこの後、彦根藩35万石の藩主として、徳川四天王の中でも破格の待遇を得ることとなるのです。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/09/10
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