秀吉の甥、早世するも血脈は皇室へ
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- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
今出川・北大路・北野 クチコミ:12件
この辺りはかつて平安京大内裏で、この地には大嘗祭に使用される品物を保管する蘭林坊があった。ところが火災のため内裏は別の地に移転し、この地は「内野」と呼ばれるようになり、建物を建てることは憚られ、荒野になった。
安土桃山時代になって、豊臣秀吉が天下人であることを意識し、1587年あえて京都の中心であるこの地に聚楽第を建設した。
この地には、秀吉の甥で養子になった豊臣秀勝の邸宅があったと考えられている。秀勝は妻の江とともにこの地で暮らし、娘完子を生んだ。だが秀勝は1592年朝鮮で急死し、江は1595年に徳川秀忠と再婚するが、完子は豊臣家の娘として母について行くことを許されなかたため、その姉の茶茶のもとで養育された。彼女は1604年に九条忠栄に嫁ぎ、その子孫は大正天皇后となり、現在の皇室に続いている。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/07/23
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