長州、尊王攘夷派の公家を匿う
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- 旅行時期:2014/10(約10年前)
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by bluejaysさん(男性)
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功山寺は1327年、長福寺として創建された。1557年に大内義長が境内で自害すると、寺は衰退したが、1602年毛利秀元によって再興された。1650年には、功山寺に改名された。
1863年の八月十八日の政変で、三条実美・三条西季知・四条隆謌・東久世通禧・壬生基修・錦小路頼徳・澤宣嘉の7人の公家が、京都から追放された。これを「七卿落ち」と言うが、公卿の列にあるのは三条実美と三条西季知だけなので、「二卿五朝臣」と言うこともある。「七卿落ち」の呼称は、源平盛衰記の「七騎落」に由来している。
七卿のうちの5人は、長府の功山寺に滞在した。ところが、第一次長州征伐の結果藩政の実権を握った俗論派は、5人を追放しようと謀った。高杉晋作の奇兵隊クーデターは、これが原因で起こったものである。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/07/12
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