「坂の上の雲」の秋山兄弟のその後 最後の言葉 好古「馬ひけ」 真之「米国とは戦わないこと」
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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by kirstiNorgeさん(非公開)
松山 クチコミ:6件
1.銅像
秋山兄弟の銅像が互いに向かいあって立っている。兄弟は同じような高い鼻が共通している。
2.生家
ここにはボランティアの説明員がいる。復元された家を見てすぐに気がついたのは「あれ、厩がない。」。好古は退役後この生まれた家から馬で校長をしている中学校へ通っていたはずである。
説明員の方もそのことに気がつき、当時の好古のことを知っている人に尋ねたところ馬で中学校には通ってないことが確認された。
さらに好古は中学校の近くの松山歩兵第二十二連隊に「馬を貸してくれ」と電話一本で馬を借りて、何かの式に出たのではないかと説明員の方は言っていた。
3.「坂の上の雲」に載せられてないこと
a 好古の最後の言葉
「坂の上の雲」では、好古の最後の言葉は「奉天へ」ではなかったかと思うが、ここで真之の子、即ち、好古の甥がビデオで好古の最後の言葉を「馬引け」と伝えている。
b 真之の遺言
「決して米国とは戦わないこと」であったとビデオは伝えている。米国に観戦武官として米西戦争を観戦し、スペイン軍港閉塞作戦を研究したことから米国の実力を十分理解していたと思う。
明治期日本の軍人は欧米から多くのことを学び、それが日露戦争に生かされたが、日本軍人は第一大戦以降欧米各国に留学し、欧米の軍事力だけでなく経済力を学ぶことがなかったことが第二次世界大戦太平洋戦争の敗戦につながったのではないだろうか。
4.好古と真之の子息
それぞれ子沢山である。写真が展示されているので拝見できる。真之には一人息子しかおらず、僧侶になったと思っていたら、宗教の研究家になったそうである。
5.好古と真之の墓
両者は当初は住居近くの青山墓地に埋葬されたが、好古については道後温泉本館近くの先祖代々の墓に分骨され、真之については、家族が鎌倉に転居したことから鎌倉の墓地に埋葬された。
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- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/07/12
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