1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 滋賀県
  5. 野洲・竜王
  6. 野洲・竜王 観光
  7. 平家終焉の地
  8. クチコミ詳細
野洲・竜王×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記

平家終焉の地

名所・史跡

平家終焉の地 施設情報・クチコミに戻る

平宗盛・清宗父子最期の地

  • 5.0
  • 旅行時期:2013/04(約13年前)
bluejaysさん

by bluejaysさん(男性)

野洲・竜王 クチコミ:5件

平家の総帥平宗盛・清宗父子を壇ノ浦で捕虜にした義経は、鎌倉に向かうが、無断で朝廷より官位を授かったため鎌倉入りを許されなかった。宗盛は頼朝の前で命乞いをしたため物笑いにされ、「平末国と改名せよ」と言い渡された。
所領を没収された義経は、あてもなく京に向かった。宗盛父子を連れ歩くことは負担でしかなく、処刑するより途はないが、義経はなぜかこれをためらい、京を目前にした鏡の里まで父子を生かしていた。だが平家の総帥を生きたまま京に入れるわけにはいかず、義経はここに至ってついに処刑を決意した。
鏡の里は、竜王町の野洲との境界近くにあるが、義経は元服の地を血で汚すことを忌避したのか、鏡の里をわずかにはずれた野洲市篠原で、宗盛の斬首を断行した。彼の最期の言葉は「右衛門督(清宗)もすでにか」と、最後まで息子を気にかけていた。
義経の情けで、首のない父子の胴体は同じ場所に葬られた。胴塚の先には、宗盛の首を洗った「首洗いの池」がある。近年になって埋め立てられたため縮小したが、当時は胴塚のすぐ前まであったという。
処刑した橘公長は、かつては平氏の家人で、平氏が衰退すると源氏に寝返った。彼は嫌な役を押し付けられたうえ、かつての主人を斬ったことで非難された。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
1.5
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
1.0
山道
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2015/06/18

いいね!:1

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP