ジョセフ彦生誕地
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
加古川・播磨・高砂 クチコミ:1件
浜田彦蔵はこの地に生まれ、13歳のとき漁に出て遭難し、南鳥島でアメリカ船に救助され、アメリカで暮らした。当時は鎖国していたため、彦蔵は国に帰れないと思い、キリシタンの洗礼を受けて「ジョセフ彦」と名乗った。ところが日米和親条約が締結され、彦はハリス領事の通訳として日本に行くことになるが、キリシタンの自分が入国すると身の安全が保証されないため、アメリカ国籍に帰化した。それでも攘夷派の武士に狙われたため、いったんアメリカに戻るが、再び来日し、英字新聞を和訳した「海外新聞」を横浜中華街で発刊する。これは日本最初の新聞である。
アメリカ国籍の彼は青山の外人墓地に葬られたが、日本が国籍法を制定したのはその2年後のことだった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/15
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