朝陽軒跡
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- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
佐賀市 クチコミ:8件
藩主鍋島光茂死去を受けて、山本常朝は1700年、出家してこの地にあった朝陽軒に隠棲した。この地を訪れた田代陣基が、常朝の教えを口述筆記したのが「葉隠」である。その内容は、当時主流であった山鹿素行などが唱える武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判し、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と述べるなど当時の武士の通念とは乖離していた。
三島由紀夫は「葉隠」を「私のただ一冊の本」と呼んで心酔したが、「葉隠」の本質は武士としての心得であり、嫌な上司からの誘いを断る方法や、人前であくびをしないようにする方法、男色の手法などを説明している。佐賀藩出身の大隈重信は、「葉隠」を「実にくだらない書物」と評している。
常朝先生垂訓碑は、1935年に建立された。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/05/31
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