観念論としての武士道
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- 旅行時期:2014/04(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
佐賀市 クチコミ:8件
山本常朝は1659年、この地に生まれた。常朝の祖父と父は島原の乱(1637年)に出征したが、常朝は体が弱く20歳まで生きられないだろうと言われていた。彼は11歳のときに父を亡くし、小姓として仕官した。
民衆は元禄の太平を謳歌し、時代は町人の世になりつつあった。武士が命を賭けて戦う時代はとっくに終わり、武士階級は有名無実の存在になりつつあった。藩主鍋島光茂が亡くなったとき、常朝は名誉ある殉死を望むが、光茂が追腹を禁じていたため果たせず、出家した。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節で有名な「葉隠」は、彼が晩年に著した彼の理想とする武士道を論じたものである。常朝には実戦経験はなく、彼の武士としてのキャリアの全ては、側用人としてであった。
なお、「葉隠」は江戸時代は禁書とされており、ほとんど読まれることはなかったことに注意しなければならない。
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/05/31
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