天守閣はないが、歴史的背景のある江戸城天守台
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- 旅行時期:2013/03(約13年前)
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by sio爺さん(男性)
丸の内・大手町・八重洲 クチコミ:4件
江戸城の天守は、慶長11年の家康、元和8年の秀忠、寛永15年の家光と、将軍の代替わりごとに築き直されていたそうだ。寛永の天守は明暦3年(1657)の大火災で焼け落ち、翌年に加賀前田藩の普請で天守台が築かれた。しかし四代将軍家綱の叔父である保科正之の「今の平和な世の中で天守閣は必要ない。それよりも夥しい被害者の救済に、その費用を充てるべきだ」との提言により、以後天守閣は再建されることはなかった。江戸城天守閣跡として見たときは「なぜ天守閣を再建しなかったのか?」と思ったが、人々を救済するためだったということを後で知り、「天守閣がないのは残念だが、江戸幕府の幹部にも民のことを考える人がいたんだなあ」と感心した。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/05/08
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