少数の蝦夷が朝廷軍を撃破
- 4.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
水沢・江刺 クチコミ:14件
789年、蝦夷平定のため紀古佐美が5万の大軍を率い、衣川に陣を置いた。北上川東岸にある阿弖流為の村落を攻撃するため、朝廷軍は前・中・後軍の三軍に分かれて渡河し、東岸で合流する作戦を取った。すなわち、前軍は西岸を北上して現在の跡呂井で渡河し巣伏(現在の四丑)を目指し、中・後軍4000は生母に上陸し、東岸を北上し巣伏で合流するというものであった。
中・後軍は順調に村々を焼き払いながら北上するが、突如300の蝦夷軍が現われ、攻撃しながら撤退する陽動作戦を取った。ところが中・後軍が巣伏に着いたころ、前軍は800の蝦夷軍に渡河を阻止され、一人も来ていなかった。800の蝦夷軍は、今度は中・後軍の前に立ち塞がった。さらに東山方面から400の蝦夷軍伏兵が現れ、退路を断った。中・後軍は前後から挟撃され、北上川に飛び込むほかはなく、25人が戦死、1036人が溺死した。
蛮族と見下していた蝦夷が、巧みな用兵で寡兵を以って朝廷の大軍を撃破したことは、朝廷に衝撃を与えた。
朝廷の前軍が渡河を試みた地は、現在巣伏古戦場跡公園となっている。やぐらはもちろん当時のものではなく、田んぼアートを見るために造られた。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 1.5
- 水沢駅から2.5キロ
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 刈入れ前は田んぼアートが見られる
クチコミ投稿日:2015/03/13
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