平等院を模した造り
- 2.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
-
-
by bluejaysさん(男性)
平泉 クチコミ:3件
奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺、三代秀衡が無量光院を建立した。吾妻鏡によれば、無量光院は宇治の平等院を模して造られ、新御堂と号した。新御堂とは毛越寺の新院の意味である。発掘調査の結果、四囲は東西約240メートル、南北約270メートル、面積約6.5ヘクタールと推定され、平等院よりも規模が大きかったと推定される。建物は全体に東向きに作られ、敷地の西には金鶏山が位置していた。配置は、庭園から見ると夕日が本堂の背後の金鶏山へと沈んでいくように設計されており、浄土思想を体現していた。
藤原氏の滅亡以降、無量光院は度重なる火災で焼失し、現在は土塁や礎石・池跡が残るのみである。
- 施設の満足度
-
2.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2015/03/10
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する