弾痕が残る築地塀
- 3.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
会津若松 クチコミ:19件
長命寺は、1605年教如が築いた本願寺掛所が始まりとされる。
戊辰戦争で会津軍は籠城したが、補給路確保のため、血路を開いて城外に出撃することを決める。松平容保はその前夜、指揮官佐川官兵衛に酒肴を振舞い、銘刀正宗を与えた。
翌朝官兵衛は、深酒のせいか遅刻したが、西大手門を出て新政府軍が拠点とする長命寺へと進んだ。会津軍は寺を包囲するように急襲し、一時は陣地を占拠する。だが火力で勝る長州・大垣藩の反撃は凄まじく、援軍も送り込まれ、奪還されてしまう。容保は、官兵衛が捨て身に出ることを予感し、撤退させた。
長命寺築地塀には、今も多くの弾痕が残っている。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/03/08
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